Perform oneself in a
play.
『今度の文化祭、コンサートの宣伝も兼ねてアンサンブルメンバー中心で劇をやることになったんです。
まだ演目は決まってないんだけど…………たぶん、シェイクスピアとかになると思います』
『ほー、古典モノでいくのか。…………まさかとは思うがお前さん、本番中に台詞ド忘れしたりすんなよー?』
…………………なんて呑気な会話をと交わしたのが一週間前。
あの時の自分にこぶしを軽く一発くれてやってもかまわない位、今現在の俺は後悔していた。
『元オペラ歌手』が聞いて呆れるが、俺はうっかり失念してしまっていたのだ。
劇作家としてその名も名高いシェイクスピアが多くの恋愛劇を作り出したこと、
そして、その代名詞と呼んでも過言でないポピュラーな作品がなにかということに。
「ねぇねぇ聞いてよ金やん!文化祭さ、おれたち何すると思うー?」
文化祭まで残す所あと2ヵ月。
こういうイベント事に誰よりもその実力を発揮するであろう火原が、
多くの資材を運びながらいかにも楽しげに俺に問いかけてきた。
「なにって………………コンサートの宣伝を兼ねての劇だろ?
シェイクスピアだったか…………、詳しくは聞いてないが、前にから聞いたよ」
「あっれ、ちゃんもうバラしちゃってたんだ。そうそう、アンサンブルの皆で
『ロミオとジュリエット』やるんだけどさ。じゃあ、金やんこれは知ってる?」
「あ?何をだよ」
俺がそう尋ねると火原は無邪気にニッコリと笑い、無自覚の内に俺を冒頭の後悔へと突き落とした台詞を放った。
「なんと!ジュリエット役がちゃんで、クジ引きでロミオが加地くんに今日大決定してさ。
実はおれもロミオ役やりたかったんだけど、加地くんが『さんがジュリエット…………!!』
ってテンション上がりまくちゃって、もう大変だったんだよー」
演出・脚本は天羽の担当で、前からもう台本だけは出来ていたのだとか、
衣装は志水の姉に頼む予定だとか、火原は俺の内心に気付かず喜々として話す。
(おいおい、マジかよ)
火原にでもなく、にでもなく、その言葉は紛れもなく俺自身に向けて、だった。
++++++++++
懸命にまっすぐにヴァイオリンと向き合う少女に、だんだんと惹かれていく
自分から目をそらして過ごしていたのは今年の春のこと。
が響かせるその音色の中にやがて恋情が混じり出したのに気付いても、どうせそれは自分に向けてではないのだと、
性懲りもなく芽生えようとする己の中の期待を押込めては『調子に乗るなよ』と戒めたものだった。
だがのその視線に、練習に付き合わされる度にひたむきにただ俺1人に
ぶつけられる音色に、期待を確信にしてもよいのかと悩む俺に、はこう尋ねたのだ。
『金澤先生、教師と生徒ってなんですか』
『あたし、金澤先生とあたしの間の距離を壊してしまいたいんですけど、どうしたらこの距離は縮まりますか』
以前俺が語った苦いばかりの過去も俺の中にある矛盾も全てまとめて受け入れて、
それでもなお俺を求めてくれた彼女に、俺の中のへの想いに、どうしてこれ以上抗うことが出来ただろう。
『―――――――だから、言葉にしちゃダメだぜ?………想いを、音に託すんだ。分かるだろ?』
最終セレクション終了後に、そんな告白にもならないかもしれない言葉で、
俺の許される境界ぎりぎりの言葉で、自分の想いを伝えて俺たちはいわゆる『恋人同士』になった訳だが。
だからといってまだ『教師』であり『生徒』である以上、その枠から大きく外れることは許されない。
互いの想いをはっきりと口に出すことも、下の名前で呼ぶことも。デートだなんてもってのほかだ。
立場上、というのも大きいが、これも俺の性格なんだろうと思う。
いや、それとも過去の失敗から学ぶ人間の学習能力みたいなもんか?
もしも想いを込めての名前を呼んでしまったら。の腕を引き寄せてしまったならば。
きっと俺は歯止めが利かなくなってしまう。彼女を欲する想いが、溢れ出てしまうだろう。
そうなってはいけないから、俺は自ら決めたのだ。
がこの学院を卒業するまでは、『金澤 紘人』が彼女に好意を告げることはないと。
コンクールを終えてもなお俺にヴァイオリンを聞かせにやって来てくれる
にそう伝えると、彼女は少しだけ哀しげに笑ってから『はい』とうなずいた。
++++++++++
ムシのいいことを言っていると、自分でも理解していた。
その名を甘い声で呼ばれることも、愛しているなどと伝えられることもない。
何ヵ月も前のあいまいな言葉でしか俺の想いを聞けなかったに、
俺はどれほど酷なことを強いているかも分かっている。
(いつ捨てられたって、不思議じゃねぇな)
火原に劇のことを聞いたのは、苦々しくそう感じていた、その矢先のことだ。
(俺もつくづく身勝手なこった)
自分で言わないと宣言しておきながら。
いざ、他の男が(例え、劇の台詞であろうと)に愛を囁く―――――そう考えると、たまらなかった。
コンクール・コンサート参加者や、それらを応援している奴、見ていた奴。
その中に、例えば火原や加地のように俺と同じく彼女に惹かれている存在が少なからずいるのを俺は知っている。
そいつらのほとんどはきっとに俺のような辛い思いをさせないだろう。
その気になりゃ、大手を振って堂々とデートでもなんでも出来るんだ、あいつは。
それなのに、こんな面倒臭い男を好きだと言ってくれるの気持ちに、どうにかして応えたい。
が音色に乗せて伝えてくれる想いと同量、いやそれ以上の想いを俺もお前に対して持っているのだと、伝えたかった。
「『現代版ロミオとジュリエット』?なんだ、それ」
それから2日後。
土日にわざわざ学校に集まって、アンサンブル練習と劇の練習を済ませてきたらしいは、
俺がさっき手渡したペットボトルのスポーツドリンクを飲みながら答えた。
「なにって…………そのままですよ。原作そのままだったらありきたりだからって、菜美がアレンジしたみたいで」
ほら、とが学生鞄から差し出した台本を、俺はパラパラと流し読みした。
なるほど役名こそ変化していないが、時代設定が現代になり、
コンサートの宣伝らしく名家の出身という設定が国内有数の音楽家一族に変わっている。
「菜美がお涙ちょうだい系が趣味じゃないからって、悲劇じゃなくなっちゃって。
土浦くんなんか、わざわざロミオとジュリエットって題名にする意味あるのかって文句言ってました。」
「ほー、で、その土浦は何の役だ?」
「………………………ティボルト役。」
「あー………それはそれは、またイメージ通りな配役だな。」
ジュリエットの従兄弟で、喧嘩っ早く、直情径行型なティボルト。
それは土浦をよく知らない他人が見れば(本人には悪いが)まさしくその役柄のイメージ通りだろう。
あれでなかなかにクセ者で、いい男なんだが、な。
「―――――――………にしても、お前さんら若人はタフだねぇ。
アンサンブルにコンサート、おまけに劇の練習だろ?感心しちまうよ、ほんとに」
「やー、確かに大変ですけど。コンサートや劇はアンサンブルの皆や菜美に助けてもらってるし。
リリや王崎先輩や吉羅理事長…………金澤先生にも、練習見てもらったり応援してもらってるから、頑張れてます。」
「……………………それは、どういたしまして。」
へへ、と照れくさそうに笑うにつられるように、俺の口元も思わず緩んでしまった。
それを取り繕うようにして俺はまだ手にしていた台本のページに視線を落とす。
「………っと、コンサートの方は後のお楽しみにしておくとして、だ。、劇の方はどれくらい進んだんだ?
面倒臭いがわざわざ俺が顧問ってことにしてやってんだから、一応の進行状態を聞かせて頂きたいんだが。」
「劇の方、ですか?今日までに皆にとりあえず第2幕までの台詞を暗記してもらって来て、第1幕の終わりまで通しで練習しました。」
「ほー………」
パラパラとページをめくり、まだ練習をしていないという第2幕の箇所を読む。
(お…………………………?)
「……………なぁ、。お前さん、2幕の台詞は覚えてんだよな?」
「あ、はい。大体なら覚えてますけど」
「付き合ってやるよ、練習。」
「……………………………へっっ!?」
「元オペラ歌手が演技指導してやるんだ、ありがたく思えよー?
ほれ、16ページから23ページまでな。台本確認するなら今の内だぞ、?」
突然の俺の発言に驚いたは、あわあわとしながら俺から返された台本を確認している。
「なんで先生そんなに早く台詞覚えられたんですかっ………………」
「お前さん、歳とったとはいえ元オペラ歌手をナメるもんじゃないぞー?
これぐらいのページ範囲の台本の暗記なんざ、朝メシ前だっての。」
の慌てぶりをニヤニヤしながら観察していると、俺の視線に気付いた彼女がむくれた様子で少しだけ唇をとがらせた。
「……………金澤先生って、けっこう性格悪いよね。」
「なんだ、今ごろ気付いたのか?」
「………知ってましたよ、だいぶ前から。」
笑いを含んだ俺の声にひとつ溜息を吐いて、はパタンと台本を閉じた。
第2幕は、パーティー会場の中庭でジュリエットが弾くヴァイオリンの音色から始まる。
その音色に惹かれてやって来たロミオが、前に一目惚れをした少女であるジュリエットに話しかけるシーンだ。
『君だったんだ、今の曲を弾いていたのは』
『あなた………………さっき、ヴィオラを弾いてた人よね。』
『君に覚えてもらえたなんて光栄だ。俺はロミオ、君の名前は?』
『…………ジュリエットよ。………で?そのヴィオラ弾きさんが何の用?』
(なんだなんだ、我が校のコンミスさんはコンミスだけでなく演技の方も一流か?)
まだ稽古自体を済ませていないらしいが、の演技力はなかなかのものだった。
さすがに今すぐ役者になれる程ではないが、まるでジュリエットの性格というか、魅力がにじみ出ているようだ。
『魅力的な女性に話しかけるのに、何か理由がいるか?』
『あたしの記憶が正しければ、あなたと会ったのはこれが初めてだと思うけど』
『俺は何度か演奏会で君を見掛けてたよ。ずっと、こうして話をしてみたかった。
…………………でも、その様子じゃ俺が君に一目惚れしたって言っても、信じてもらえないかな?』
『…………あなた気は確か?なんでロクに話もしたことのない、私がどんな女かも分らないのに好きになんかなれる訳?』
“ジュリエット”は台本通りに“ロミオ”に背を向けてみせた。
『君のヴァイオリンを聞いて、ジュリエットという人間を好きになった。音楽家ならそれだけで充分だろ?
君の奏でる音色が、君という女の子がどんなに魅力的な女性かを教えてくれる』
『…………………………』
(………………天羽の奴、マセた文章を書きやがる。)
――――でもまぁ、悪くはないか。
俺たちが互いの想いを伝え合うほぼ唯一の手段が、の弾くヴァイオリンの音色なのだから。
台本通りに行くなら、ここはただひたすら“ジュリエット”の奏でる音色を褒めたたえればいい。
だが、俺はそうしなかった。
幾百も幾千も過剰に飾り立てた言葉は得意じゃない。
俺が欲しいのはただ、血肉の通った確かな言葉だけだ。
『素直だけど、どこか意地っ張りで。自分が努力していることを、
外に出すのが恥ずかしいと思っている。本当は、褒めたたえられるべき尊い努力なのに』
『いつもまっすぐでひたむきで、想いを告げることをためらわないで、』
そう続けた時、本来なら背を向けたままのはずの“ジュリエット”―――いや、がパッと振り返った。
その瞳には動揺がありありと浮かんでいる。
『……………君への想いに捕われてしまえば、もう逃げられないと思った。
だから逃げようとしたのに、君の弾くヴァイオリンはどうしようもなく俺に君という存在を訴えかけてやまないから。』
俺はじっとの瞳を見つめてから、台詞を本筋へと戻した。
『―――――……俺はもう俺自身の心を、ジュリエット、君に委ねようと決めたんだ』
『………………っっ、何を…………』
『………信じてもらえないとは思う。だけど、これだけは覚えておいてくれ、ジュリエット。』
俺は片膝をついて跪き、の手を取ってそっと口元に引き寄せた。
その手に口づけることは決してない。
だが、“ロミオ”の台詞の中に潜ませた俺の想いが、に届いてくれればと俺は切に祈った。
『―――…愛している、ジュリエット。この先何があろうとも、君が例え他の誰かに心惹かれることがあっても。
俺の心も身体も―――――――――――魂さえも、俺の全てはジュリエット、君のものだ。』
―――――――――――どうか、願わくは。
神がこの想いを見逃してくれますことを。
「―――――んじゃ、ここまでっ………っておわ、、お前さんなに泣いてんだよ!?」
予告していた範囲内の演技を終えた途端、は何故かぼろぼろと泣き出した。
ネコ缶臭くはないよな、と心配しながらも、とりあえず白衣の袖でぐしぐしとの涙をぬぐい、おっかなびっくりその髪を撫でる。
「だっ、て、だって、なんか…………」
その後も言葉にならない言葉を発しながら、は5分程そのまま泣いていた。
「―――――落ち着いたか?」
「………………………はい。」
ようやくは泣きやんだが、俺の白衣の端をぎゅっと握ったまま放そうとしなかった。
「…………で?何でお前さんは泣いちまったんだ?あんまり驚いたもんだから、心臓がすっぽ抜けちまうかと思ったぜ。」
「…………………先生の演技に引き込まれたんです」
はポツリとこう答えた。
「おーおー、そいつはどうも…………」
「私、お芝居だって分ってたのに、“ジュリエット”に対しての台詞だって
分ってたのに、まるで自分自身に言われたような気になった。」
「…………………………」
は、白衣を握りしめる力を更に強めた。
直接身体に触れている訳ではないのに、からの熱が俺の心臓にまで伝わるような錯覚を覚える。
「……………………ね、金澤先生。聞いてもいい?」
「ん、なんだ?」
「後半、少し台本と違ってましたよね」
「あぁ、まぁな」
「……………あれって、原作に本当にある奴?」
「……………いや?単なる、俺のアドリブだ。どうよ、才能溢れ出てたろ」
「…………………………はい。」
すん、と少し鼻を鳴らしてから、は明るい笑顔を見せた。
「…………………先生、どうしよう。これから劇の練習する時、加地くんの顔が先生に見えちゃうかもしれない」
は掠れた声でそう言うと、ぽすんと俺の胸に頭をもたせかける。
「現役高校生の顔に三十路男の顔がダブるって、お前、結構やばいんじゃねーか?」
からからと笑いながらそう答えると、がむすっとして顔をあげた。
はまだ少しだけ赤い目で俺を見上げて、少しだけ唇をとがらせると俺にこう返した。
「じゃあなんで、金澤先生はあんなアドリブ入れたんですか?」
(……………おいおい、脈絡もなくそんなこと聞くんじゃねぇよ。不意打ちされたじゃねぇか)
「………………………さて、な。“ロミオ”の気まぐれだろ気まぐれ」
「あ、目そらしましたね?何隠してるんですかー」
「別に隠しちゃいないさ。――――………そうさな、お前さんがこの学校を卒業した時に、教えてやるよ。」
「約束しましたからね、約束!忘れないでよ?」
「おー、善処するわ」
そう。、お前さんが『生徒』から卒業する時。
その時、話してやるよ、このアドリブの理由も、俺の願いも、お前への想いも何もかも。
でも今は言えない。
―――――――…………言えるワケがないだろう?
『例え劇とはいえ他の男に嫉妬して、そいつらより先にお前さんに言ってしまいたかっただけだ』、なんてな。
END
back?
>>>後書き
久しぶりの更新です。楽しみにしてくださった方、お待たせいたしました。
この作品の私的コンセプトは、「いかに合法的(?)に金澤に砂吐きものの甘いセリフを言わせるか」でした←
『教師:金澤紘人』では、加地みたく主人公に好きだの愛してるの言うのは至難の業です。
なので今回金澤には、元オペラ歌手らしく『ロミオ』を演じてもらい、『アドリブのセリフ』として色々言っていただきました。
もう少し甘くしても良かったかな?加減が難しい。
タイトルの“Perform oneself in a play.”は、『自分自身を演じる』という意味でつけました。
分かりにくいのは承知ですが、金澤が『教師』という役割から離れて『ロミオ』を演じながら、
なおかつ主人公を想う『金澤 紘人』という1人の男性を演じている……というイメージです。
そういえば私が金澤物を書こうとすると、ついつい主人公を泣かせてしまうのはなぜでしょうか。
今回はいつも以上に楽しみながら書けたと思います。
その気持ちがこうして読んでくださっている皆さんに伝われば幸いであります。