いつからだろう、嫌いだと思っていた冬の寒さが愛おしく感じられるようになったのは。
さくさくと昨日にかけて薄く積もった雪を踏む軽い音を立てながら首に巻いたマフラーに鼻先をうずめ、本田菊はそんなことを考える。


四季がある日本は冬になると寒い風が吹き荒れ、北国へいけばその重さで家すら壊すほどに雪が降る。
ろくな食べ物さえなかなかとれず、ひもじい思いをさせられたのは思い出したくないほど数に限りない。
己だけでなく自分の愛する祖国の人々までもを苦しめるその季節に、菊は半ば憎悪にも近い感情を持っていたはずなのだ。




なのに、どうして。どうして、私は――――――――










                ダンデライオン -dandelion-











さくさく、さくさく。
とりとめもなくぐるぐると回る菊の思考回路と同調するように、革靴を履いた菊の足も本人が意図することなく勝手に動く。


気がつけば菊は、自宅からだいぶ離れたところにある河原へきていた。




「これは、また…………。予想もつかない場所に来てしまいました。」



まぁ元々どこという目的もない散策なのでかまいませんが、ね。

心の中でそっとそうこぼすと、彼は雪で滑ってしまわないよう細心の注意を払いながらまだ地面が顔を出している所を辿り、河川敷へと降りていく。
大人2人ぐらいなら楽に座れそうな石の上にちょいと腰をかけると、菊はまたぼんやりと考えごとに戻った。







自分の中の冬に対する感情が変わったのはいつだったろうか。

百年ほどの間、自分のテリトリー内に引きこもっていた間に広い世界は驚くほどの速さで変化していった。
自分の意思でなく『外』の世界に引っ張りだされてから、実際の世界だけでなく菊の『世界』もまた目まぐるしく変わった。
その表情になんの感情も表わさず、ただ冷徹な視線で状況を見つめ、全てはただ祖国のためだけに心を砕いていたのだ。



透明だが決して割れない、厚い壁を自分の周りに築いて。
その心さえも自分以外の誰にも触れさせないように、精神の奥深くにしまい込んだ。
何者かが自分の心に触れようとしても 上辺うわべだけの笑顔でさらりとかわして、本心など晒そうとも思わなかった。

決して無駄に短くない年月を生きていたわけではないのだ、それくらいの術は心得ている。
心得て、いたのだ。




(―――――――……あぁ、そうだ。『あの方』と出会って少したってから、ですかね)


フ、と視線を落とした先にあったタンポポの綿毛。
いや、正しく言うならそのタンポポの花の色を思い浮かべた時にポンっと菊はその答えに行きついた。


タンポポの持つほんわりと薄く、だがどこか暖かい太陽を思わせる黄色の花と、見る者の心を和ませるような落ち着いた黄緑色の葉。

それは菊の中にある厚くて重い壁を取り払って(それどころかブチ壊して)菊を引っぱりまわしたあげく、
触れたことのない外へ連れ出した『彼』の髪の色と瞳の色に、ひどく似通っていたのだ。















――――――そう、あれは確か『彼』と同盟を不本意ながら結んだ年の冬のころ。

突然やってきたかと思えば『日本文化に触れてみたい』のだと楽しげに話すアーサーに、菊は普段着にコートを羽織った格好で外へと連れ出されたのだ。
あれはなんだ、これはなんだと騒ぐ年下の彼に内心少し呆れながら、菊はそんなことを微塵も表情に出さずにこやかにアーサーの相手をする。
その菊の笑顔がかき曇ったのは、雪が真っ白になるまでその表面を覆った山を指さした時のことだ。


『なぁなぁ、菊!!あれ、なんて山なんだ?………まさかあれが噂に聞くMt.フジか!?』
『いいえ、あれは富士山でなくただの山ですね。雪が積もっていますから……そのように思われたのでしょうか』


キラキラと瞳を輝かせながら己に尋ねてくるアーサーに、あの時自分はどうやら苦いものを混じらせた声で返していたらしい。
あっという間にその瞳の中の光を心配げなものに書き換えて、じぃっと自分を見る彼の視線に菊は気づく。


『…………なんでしょう?』
『いや…菊は、雪が嫌いなのかと思って、さ。』
『そうですね――――――当たらずとも遠からず、でしょうか。雪というより、冬が私には……あまり好ましくは思えないのですよ』


愛する祖国の人々、彼らを苦しめようとする者を菊は許すことはできない。たとえそれが、自分よりはるかに大きな強国だったとしても。
穏やかで温厚な気質で知られる彼だが、かつて国のために彼は武器を取り戦った。
負けて犠牲の数を増やしてしまったことも、逆に少ない人数で大国に勝ったこともある。


だが、冬――――――季節ばかりは、菊に対抗できる術はないのだ。
受け身でいるしか。ただその身を小さくし、今か今かと白い災厄が過ぎ去ってくれるのを待つしか、出来ない。
そんな歯がゆい思い、非力な自分を強く感じさせられる季節である冬を、菊は快くは思えなかった。
ただでさえいつも伏せがちだった真っ黒の瞳を閉じ、菊はまたその瞳と同じ色をした自分の世界へと1人潜ってしまう。



こうして瞳を閉ざすように、何もかもを、心さえも閉ざしてしまえばいっそ楽になれるのか、と自嘲したそのとき。


そう、まさにそのとき―――――――――――…………















(そうだ、確かあのとき。アーサーさんが何かおっしゃって………。それから、だった気がしますね。)

自分が、あのときほど冬を憎まなくなっているのは。

(あのとき―――――あの方は、なんとおっしゃっていただろう)


つぃ、と立ちあがった菊は、自分が座っている石のそばにひっそりと咲いている数本のタンポポに歩み寄ると、
一際大きく綿毛をつけた1本を選んで、そっとその茎を 手折 たおった。
自分が動く勢いのせいで種子が飛んでしまわないように気をつけながら、また元の場所に座る。

後ろへと手をついた格好で、菊はいつの間にかまた降り出した雪がふわふわと舞い降りてくるのをぼんやりと見上げる。
左手でそっとその右手に持った綿毛が雪で濡れてしまわないようにかばいながら、少しずつその降る雪の量が増えていくのを。
菊はただ、なにも考えずに―――――――――嫌いで嫌いでしょうがなかった白い結晶をただひたすらに、一心に眺めていた。














「――――――――おい!…く、菊!!」



(おや、おかしいですね。アーサーさんの声が聞こえます。あの方がこんなところにいらっしゃるはずもないのに)

いくら長生きしている方だからといって、まだまだボケてはいないはずなのに。





「………………おいコラ菊!いい加減『こっち』の世界に帰ってこい、風邪ひいちまうぞ!!」


にゅう、と。
菊の視界いっぱいに広がるのは、先ほどまで考えていた張本人の顔と、彼が持つ自分に差しかけられた1本の大きな黒い傘。



虚脱状態から急に覚醒させられた菊は、きょとんとその漆黒の瞳を大きく見開いた。
ぽつりと薄く開かれた唇からこぼれたのは驚きと、もう呼び慣れてしまった傘の主の名前。


「―――――――――…は?え……アーサー、さん……………?」




「あのなぁ……お前は馬鹿か!?こんなに雪が積もるまでボーっと川べりに座ってな、肺炎でもこじらせたらどうするつもりなんだよっ!!」


アーサーはキッと菊をにらみつけてから、強引に菊を立たせて彼のコートの肩に数センチほど積もっていた雪をパンパンと払っていく。
きつい視線も少し強引なしぐさも、全ては自分を心配してくれているからこそだと分かっている菊は、黙って彼の手に身をゆだねた。


「せっかくこっちに来る用事を作ったから、菊ん家まで行ったら近所の人が2、3時間前に散歩に行ったきり帰ってこねぇって言うし!
あちこち探しまくってやっと見つけたと思ったら、雪を肩に積もらせながらぼうっとしてるし、お前なんっかい呼んでも気づかないし!なんなんだ、ったく!!」


『用事を作った』と、きっと言うつもりはなかったであろうアーサーが知らず口を滑らせた言葉に、菊は目をぱちくりとさせた。
次の瞬間、あっけにとられた表情はふわりと柔らかい笑顔に変わり、今は菊の胸元の雪を払おうと屈んでいるアーサーのぴょこぴょこと揺れる金髪を見下ろす。
先ほどまで確かに菊の心の中に存在した空虚な感覚はすでに消え失せ、甘くも暖かくも感じられる思いが満ちていくのが自分でも分かる。


「……はい、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした……………………アーサーさん」






アーサーのお説教も一段落つき、菊のコートにまとわりついた雪もあらかたアーサーの手によって払われたころ。
ようやく彼は菊が右手に大事に握っていたタンポポの綿毛の存在に気がついた。


「それ……dandelion、こっちじゃタンポポっていうんだっけか?」
「はい、この種類は確かヨーロッパから帰化した種だと聞いております。見覚えがありましたか?」
「あぁ。俺ん家の庭にも似たようなのが咲いて―――――…そっか。」
「??どうなさいました、アーサーさん」


まじまじとタンポポを見るアーサーの様子に、菊はこてりと軽く小首をかしげた。


「いや…………つい最近まで俺の実家も日本も冬だ、まだ当分寒いんだなぁって考えてたとこだったのに。
このタンポポみてぇによ、自然は春に向かって準備やら支度やらしてんだなぁって…………実感してた。」


(あ……………。そうだ、これだ。あのときも、この方は今とほとんど同じことを言っておられた。)








『俺んトコも、けっこう雪が積もったり、吹雪いたり…………冬が厳しいんだよ。
それでも俺ん家の奴らが楽しそうにクリスマスを迎える準備するの見たり、新年祝ったり…
あと、木とか花が蕾をつけてる所とか見ると、あぁもうすぐ春が来るんだな、今は疲れて休んでんだなって………よく思うよ。』


だからよ、菊。とアーサーは続ける。


『自然も…………お前も。ずぅっと気ィ張っとく必要なんてないんだ。
しんどいことがあるんなら、ちゃんと言え。―――――なんのための同盟だと思ってんだ、よっっ!』
『ぁ痛っっ』


ビシッ、とアーサーの勢いよく放ったでこピンが菊の額にクリーンヒットした。
反射的におでこをおさえた菊が見たのは、アーサーの悪戯っぽく笑う満面の笑顔。
それこそ、まるで彼自身が春の陽光であるかのような、そんな笑顔。

―――――――――――――――間違いなく、あの時に自分は彼に惹かれたのだろうと菊は思う。








「おい、菊ー?……まーたどっかにトリップしてんのか、お前。」
「いいえ、そんなことはありませんよ?少々、思い出したことがありまして」
「ふぅん………?まぁ、いいけどよ。―――――――――っくしッッッ!!」


クスクスと思い出し笑いをする菊を不思議そうに見ていたアーサーが、ふいに派手なクシャミをした。


「アーサーさんっ………大丈夫ですか、風邪など引かれておられませんか?」

一転して心配げな表情になった菊が、そっと左手をアーサーの頬に伸ばした。
今まで大切に握っていたタンポポをコートのポケットにしまい、右手も反対側の頬に滑らせ少しでも自分の体温をアーサーに移そうと試みる。


「…………………な、ちょっ、菊…………………………!!?」


それはまさに例えるなら一瞬、的確な表現をするなら瞬間湯沸かし器。
ボッ、とアーサーの顔が瞬く間に真っ赤に染まり、両頬に当てられた手のひらよりも体温が上昇していく。


「あぁ、やはり冷えて………おられ、ましたね。思わず過去形にしてしまいましたが…………とりあえず我が家においで下さい。
温かいお茶とお茶菓子でもお出しいたします。そうだ、この間アーサーさんがお気にめしていた舟和の芋ようかんがありますよ」
「あっ、あぁ、そうだなッ。そうしよう今すぐお前ん家行こう!いやー実は俺、そのヨウカンが気になって気になって夜も眠れなくってだなぁ!!ハハハ!!!!」



恥ずかしさの極限にでも達したことで何か吹っ切れたのだろうか、
いまだその顔を真っ赤にしたままアーサーがぐいぐいと菊の手を握って引っぱりながら先に歩いていく。


「―――――――――――――――ふふふっ」


後ろからでもはっきりと分かるアーサーの耳の赤さに思わず笑みを漏らし、菊は空いている手をコートのポケットに入れてあのタンポポを取りだした。
チュ、と軽く綿毛に口づけを落とし、目の前にそれを掲げる。








( どうか―――――どうか、願わくは )


この種が風に乗り遠くへ、そう、出来るなら愛しい人の故郷まで飛んで、芽吹いてくれないだろうか。
そして口づけ越しに移した、自分の想いを込めたきいろい花がかの地で鮮やかに咲き誇ればいい。








そんなささやかな願いをかけて、菊は思いっきりその吐息をずっと大事に持っていた綿毛たちに吹きかけた。
もうすぐやってくるであろう春を夢見て舞いあがる種たちを笑顔で見送りながら、彼は繋がれた手にきゅっと力を入れる。













―――――――――――――――――――――風よふけふけ、舞いあがれ。
                                            愛しいひとに、届けておくれ。私の………………心と、想いを。


















END.








>>後書き

久しぶりの作品(しかも初BL)がこんなgdgd残念クオリティとかほんと残念ね/(^O^)\
これは某2人のAPHオタの話に触発されて描いた話です。
3日足らずという今までにないスピードですが、なんか負の奇跡が起こったぽいですv
空気とか読まずに「イオリアン」のoriiさんに押しつけちゃうよ!!つつ ぽいっ

うちの菊は基本根暗、そして若干天然小悪魔だと思われますwww
そしてアーサーは基本説教が多めのヘタレでいいと思うよ!
関係的には菊>>>アーサー的な。でも英日。

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